3月4日(日)

現在時刻12:40、場所はJR釧路駅構内のミスドである。僕にとって北海道旅行に駅構内のミスドは必需品である。それほど気にせずに"長居"出来るからだ。しかも、大抵の大きなJRの駅の構内に店舗があって、朝は6時頃から夜は11時か店によっては1時頃まで開いているのでうれしい。今回も13:21発札幌行きの発車待ちである。外は吹雪。左の写真はそのミスド店内から撮った駅前ロータリーである。もう見る見るうちに積もっていく。客待ちのタクシーのボンネットに積もった雪を運転手のおじさんがハケみたいなモノで払うんだけど、10分と経たずにまた3センチくらい積もってしまう。

一昨日の金曜日の夜から北海道に来ている。札幌から夜行で網走に移動し、昨日一日、流氷三昧の時間を過ごした。前回流氷を見に来たのはもう数年前の事なんだけど、その時と比べて今回は段違いに流氷が多い、というか"濃い"。網走港から流氷砕氷観光船おーろら号に乗り網走港の沖から能取岬沖までクルーズ。沖合遙か水平線の果てまでビッシリと真っ白い流氷が続く。まさに遙かシベリアまでこの流氷の上をひょいひょいと歩いていけそうであった。そのあと、JR釧網線の北浜駅に行き、接岸した流氷に直に触れてきた。前回来たときには、この海岸にはまったく流氷は届いていなかったのだ。嬉しくなって、思わずセルフタイマーで"ひとり記念撮影"までしてしまった。

そんな感じで流氷を堪能してしまったら、ストンと気持ちが終わってしまった。ホントはこのあとどこか温泉でもとか思っていたんだけれど、なんかもうどうでもよくなってしまい、何処にも寄らずに釧路まで降りてきてしまった。その釧網線の車中、「ああ、斜里で降りてウトロに行くってのもあったよな」とか「川湯温泉とか摩周とかもありだったよなぁ」とか後悔することしきり。でも、結局は、ここ釧路に来てしまい、来る度いつも泊まっていた全日空ホテルに電話して投宿。近くの繁華街の寿司を堪能。部屋に戻りお湯をためて風呂にはいると、前日までの疲れも手伝ってかテレビを見ながら12時前に眠ってしまったようだ。目が覚めるとつけっぱなしだったテレビで「おジャ魔女どれみ」が放送されていた。やれやれ。ホントは出来れば早起きをして、バス(片道3時間!  )で知床半島の羅臼まで足を延ばそうかとも思っていたのだけれど、窓外の吹雪の釧路市内を見てあきらめてしまった。

ひとり旅をすると、いろいろ考えてしまう。

初めて釧路に来たのは、もうかれこれ9年ほど前になる。ちょうど旅行というモノのおもしろさを知った直後、2度目のひとり旅で、JRの周遊券を使って北海道をまわったときに立ち寄ったのだ。(ちなみにその時は東京から奥羽本線経由で青森で1泊。津軽海峡線で青函トンネルを経て陸路北海道に入り。夜行列車で札幌から釧路、そしてそのまま根室まで行き、納沙布岬から目に見えぬ日ソの国境線を見て釧路に戻って一泊。翌日帯広の立ち食いソバ屋のテレビでソビエト連邦の事実上の崩壊のニュースを見て驚愕し、吹雪の富良野に立ち寄り旭川へ。駅前の映画館で時間をつぶしつつ(クリストファー・ウォーケン主演の「マクベイン」という映画ともう1本、題名も内容も忘れちゃったが、の2本立て)、夜行列車で稚内へ。そして日本最北端の宗谷岬も踏破(笑)し、満足して旧千歳空港から帰京した。4泊5日、うち車中2泊という旅。若かったのね。さらに帰京した夜、九州・久留米に住む親友から「離婚した」という電話を受け、翌々日、今度は空路福岡に行ってそいつと飲み明かし、明けたその日の午後の便で帰京、夕方から有楽町で試写会かなにかに行ったのだった。やれやれ)

実は釧路は亡き母の生まれた街である。初めて釧路に泊まった夜、自宅に電話を入れ「いま釧路にいる」と告げると母はとても懐かしそうに「そう」と言った。「今度、一緒に来よう」と僕が言うと「ああ、そうだね」と母。結局その約束は果たされぬまま、母はこの世を去ってしまったが・・・。(どうやら僕は、まだその辺に引っかかって生きているようだが)まぁそんなこともあって、以来、僕にとって釧路は特別な街になった。気持ちがくたびれてしまったとき、フラッと訪れてみたときもあった。全日空ホテルに部屋を取って3〜4日釧路でぶらぶら過ごしたりした。ああ、そうだ、最後に釧路を訪れたのは、あれは知床の硫黄岳登山の時だからもう7年も前になるのだ。僕は将来この釧路に住みたいとさえ思っている(が、奥さんは「寒いからイヤ」と反対している)。それくらいこの街が僕にとっては安らぐ街なのだ。いや、あるいは、時々勝手に理由をつけては訪れることが出来るので、そう感じるのかも知れない。いざ生活するとなると、きっと大変なんだと思う。

結局今回はゆっくりする間もなく、こうして札幌行きの特急の車中である。窓の外は雪。左外は荒れる太平洋である。

ところで今回最初に訪れた網走の街は、前回訪れたときと比べて、やはりどうにもますます寂れてしまったような気がする。一見街はきれいになったようだし、前にはなかったコンビニもずいぶん建った。でも、メインの商店街には閉めてしまった店が結構多くて、それらがそのまま荒れ果てた姿でそのままになっていたりすると、う〜む、と思ってしまう。不景気、ということなのか。

釧路でさえも「不景気は深刻だよ」と個人タクシーのおじさん。「いくら待っててもそうそう客はいないし、だから1日1万5千円で貸し切りにして、鶴の写真撮りに来る人乗せてるんだ。ホントはそれだけ乗せたら、メーターで3万は行くんだけども、それじゃ誰も乗ってくんないっしょ。今時、釧路で何やったって、そうそう1万5千円稼げないからね」そう言いつつおじさんは僕に名刺を渡してくれた。「鶴の写真撮りに来るときは、連絡してくれたら1万5千円でいいから」。そういえばホテルだって安い。シングルが1泊6700円なのだ、全日空ホテルでだよ。確かに物価が安いと言っても、全国共通で売られている商品は、何処の街でも定価は同じだしね。

それにしても、"ダブル・バッテリー・モード"のPowerBookの威力は凄い。通信をしなければ10時間はもちそうだ。これを体験しちゃうと、GWに予定しているギリシャ旅行にも携えて行きたくなるなぁ。重いけど。

とにかく、久々の"冬の"北海道、道東であった。好天に恵まれた網走では「ああ、もう春か」とか思ったが、こうして吹雪かれるとまだまだ冬の終わりに引っかかってるという感じがする。凄まじい吹雪で列車も徐行体勢に入ったようだ。

吹雪の中、遠く白い地平線と白い雪雲が溶け合っている。

 

3月10日(土)

なんと今週末も北海道・釧路に来ている。

実は今週の水曜日(3/7)の夜、釧路在住の叔父が他界した。その葬儀に参列するため、急遽金曜日の夕方、釧路入りしたのである。今回は大船在住の叔父と従兄と一緒に、羽田から直接空路で快晴の釧路へ。上空に非常に強力な寒気団が入ってきている、という天気概況の通り、空港に降り立った僕等を待っていたのは半端じゃない寒さであった。もういきなり氷点下である。空港に迎えに来てくれた従兄(なんと27年ぶりの再開である)の車で直接式場へ。通夜の開始に何とかギリギリ間に合った。

通夜の席では、日頃なかなか会うことのない北海道在住の親戚、また、"話には聞いていて名前も知っているんだけど会うのは初めて(!)"という従兄弟らとも会うことが出来て、それはそれでなかなか良かった。しかも、彼ら彼女らの子供さんたちが、みんなして「おジャ魔女どれみ」の大ファンだという!う〜む、しまった!ちょっと考えれば容易に予想はついたハズの展開である。ポスターとか用意していけばよかった。帰京したら「どれみグッズ」を送ってあげる約束と相成った。おまけに僕もちょっとした有名人であったのにはビックリ。やっぱりテレビで名前が出るってのは大変影響力があるのだ、ということを今更ながら実感。

明けて土曜日。テレビのニュースによれば、今朝の釧路の最低気温は-13.2だったそうだ。そんな中、午前9時から始まった葬儀の方は午後3時前に滞り無く終了。帰りの飛行機は翌日曜日の午前だから、ポコッと自由な時間が出来てしまった。で、ホテルで礼服から"いつもの服装"に着替えると、デジカメを持って氷点下の釧路の街の南、幣舞橋を渡り、かつての釧路の中心街であった南大通り〜米町を目指した。

先だってもここで書いたが、ここ釧路は母の生まれた街である。実は亡くなった叔父の家こそ母の生まれた場所であり、今回僕は生まれて初めてそこを訪れることが出来たのだ。

「家の前から道の向こうに海が見える」

生前母が断片的に話してくれた風景が、いま僕の前にあった。母の生家の前の道の先、まさにその道の向こうに大きく太平洋がひろがっていた。その道を200メートルほど進み臨港鉄道の軌道を越えると、そこにはテトラポットの海岸があった。かつて「弁天ヶ浜」と呼ばれ、母が遊んだという美しい砂浜は、いまでは浸食により砂浜がほとんど削り取られてしまっていて、残念ながら当時の面影はない。その海岸のテトラポットの上でウミネコが遠く沖を見つめている。何処までも澄んだ青い空。氷点下の気温。鋭い冷気が顔を刺す。

50年以上の時を経て、いま僕は母が見て育った海を見ている。言葉にならない感動があった。

3月11日(日)

ふと目覚めたら午前5時半。釧路全日空ホテル、9階のツインルームである。昨夜寝たのが1時くらいだったからあんまり寝てないんだけれど、全然眠くないし、なんかとっても目覚めがよい。気持ちがいいのでそのまま起きてしまった。おかげで、部屋の窓から今まさに太陽が地平線から顔を出そうとしている美しい光景を堪能することが出来た。早起きもたまには良い。

こっち(北海道)に来ていつも「おおっ!」って思うのは「地平線」である。今朝も太陽はキッチリと地平線から顔を出した。日頃東京じゃ地平線なんてお目にかかれない。「地平線」どころか立ち並ぶビルや家屋で「非平線」だからね。テレビのニュースによれば、今朝の釧路はさらに一段と冷え込んで、最低気温が-13.7度だったらしい。日中も最高気温が-4だって。そういえば昨夜7時頃、北大通りの温度計が-10を示していた。こんだけ寒いともう「寒い」って感じじゃないですね。もうね「痛い」。こっちでは「しばれる」って言うんだけど、まさに「しばれるベさ!」ってな感じ。だって日中外を歩いてて、気がつくとまるでほっぺたに感覚がないのだ。で、「ヤバイ!」っていうんで、慌てて店に飛び込んで暖をとる。ははは。冷蔵庫の中より寒いからね、戸外の方が。こっちでは凍らせないために冷蔵庫に入れておくくらいなのだ。

と、まぁ、そんな激寒の釧路から空路東京に帰ってきた。

もうあと少しで羽田というところで飛行機の窓から見下ろすと、眼下には房総半島。ビッシリと隙間なく立ち並ぶ住宅地が延々と続いている。いやはや、釧路湿原の雄大な光景を見てきたあとでこういうのを見ちゃうと、「ああ、帰って来ちゃったんだなぁ」とつくづく思っちゃいますね。