その夜の僕は面会時間ぎりぎりまで母の病室に居た。
「今日か、明日か・・・」
父とそんな会話を交わして、再び大泉のスタジオに戻り仕事に向かっていた。
母がガンで倒れて入院し2ヶ月。もう手遅れとわかってからの日々は辛いばかりであった。あまり苦しませたくないと思う反面、一日でも長く生きていて欲しい。そんな矛盾が心を締め付けていた。
昼少し前、母の病室に顔を出してからスタジオ入り。夕方まで仕事をして一旦帰宅。病室に顔を出し、面会時間ぎりぎりまで母の傍にいて再びスタジオに戻り朝方まで仕事。折しも、夏の劇場用作品の色指定を担当していた僕は、休むわけにもいかず、そんな日々を続けていた。
午前5時、僕はスタジオの新館2Fのトイレにいた。疲労のせいなのかここ数日腹具合が悪く、緊急連絡用に持ち歩いていたポケベルを見つめながら便座に腰を下ろしていた。
「今日か、明日か」数時間前の会話を思い出していると、
ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ・・・。
「!」ポケベルが激しく鳴り始めた。自宅からの呼び出しだった。
「来たか・・・」
すぐさまトイレを出て、タクシーを呼ぶ。 電話の向こうで「10分」と言う声がやけに遠く聞こえた。大泉から中野まで約15分。早朝の街をタクシーが走り抜け、病室へ駆け上がった時には主治医が心臓マッサージを続けていた。僕の到着で家族が揃ったのを確認した主治医は、続けていたマッサージの手を静かに止めた。
6月5日、午前5時半であった。
毎年この時期になると、あの頃のことを思い出す。特に今年は、久々に夏の劇場用作品を担当していて、こうして朝方までスタジオで過ごしていることが多く、ことさら様々なディティールが思い出されるようだ。
まだ入院して間もない頃、自宅の方向に窓が開いた病室で、遠く窓の外を望みながら、ひとこと「帰りたい」と言った母の声が、いまでもしっかりと僕の記憶に刻まれている。この一言が、僕がハッキリと覚えている母の最後の声なのだ。一生忘れ去られることのない一瞬の記憶である。(その数日後、母は気管切開により"声"を失うことになる)そんな母を家へ連れて帰ってあげられなかった事が、僕のこれまでの人生で最大の心残りである。もう7年も経つというのに、未だに僕は心が張り裂けそうになる。
忘れられないものがあり、忘れてはならないものがある。
これからも毎年、僕はこの日にそれを思い出す。